森羅万丈

はてなダイアリー(~2017)から引っ越し、心機一転リスタートです。

戦国演義蒼炎風雲録 4話「跡取りの資質」

――天正十年(一五八二年)六月二日、京都本能寺で、織田信長が死んだ。
――その直後、報せを受け大混乱に陥った堺の街中を、町人に扮し足早に進む者達がいた。
――生前の信長によって招かれていた徳川家康と、側近の榊原康政本多忠勝の両名である。
――図らずも、謀反人・明智光秀の懐に丸腰同然で飛び込んだ彼等は、
――今まさに、逃避行の最中であった。

「馬で街道、船で陸路、いずれも人目に触れます。徒歩で山野を歩くこととなりますが、ご容赦を」
「むしろ当然の判断です、康政。私とて鍛錬は欠かしていません、気遣いは無用ですよ」
 常の如く泰然自若に見える家康である。
 しかし、「信長死す」の報せを受けた時には、流石に、動揺を隠せなかった。
 それどころか、ひとたび動揺すると容易に立ち直れない気質を持ち合わせているだけに、
 主君の強みも弱みも知り抜いている側近の二人が同行していたことは、
 まさに不幸中の幸いと言う他は無かった。
「でもー、康政さん。山の中に兵隊さんはいないと思いますがー、山賊さんに襲われたり、しないでしょうかー?」
「うむ、その点は儂も懸念している… よって、地理に明るい者を手配して、間もなく合流する手筈なのだが…」
 忠勝の質問に答える康政は、なぜか渋い表情であったが、
 程無くして険しい表情に変わり、急に前方へと駆け出した。
「康政、何を…」
「もしかしてー、曲者ですかー?」
 家康と忠勝が見遣る先、そして康政が駆けた先には、うら若い娘の姿があった。
 一行は相当な努力をして町人に扮しているのだが、
 目の前の相手は、茶屋の看板娘と言われても何ら不自然では無い… が。
「殿、やすま… むぐぐっ」
「声が大きい! 我々が変装した意味が無くなるではないか、時と場所をわきまえよ!」
「あらー。誰かと思えば、半蔵さんじゃないですかー」
 服部半蔵といえば、伊賀忍者の棟梁が代々名乗ることを許される名である。
 無邪気に迎え人の正体を大声で明かす寸前、康政に口元を抑えられて
 ジタバタとしている小娘がその人である等と、誰も想像できないであろうが、事実である。
 むしろ、自分から身分を吹聴して回りそうな危うさすらあるが、
 その点には敢えて誰も触れないようだ。
「そんな事より、半蔵。頼んだ件に抜かりは無いだろうな? 我々は何としても、事を荒立てず、安全に国元へ帰らねばならぬ」
「もちろん! 私の超能力にかかれば、悪党の目を欺く事など簡単です! 名付けて、サイキック伊賀越え!」
「…さい、きっく…?」
「良く、わかりませんがー。凄そうですー」
 困惑する康政、感心する忠勝、得意満面な半蔵。
 その彼等を見遣る家康は、先程から、一言も発していなかった。
 信長の訃報を受けた際のように、動揺しているのか… と思われた矢先。
「半蔵。その『超能力』とやらで、私達を一瞬で三河まで送ることは出来ませんか」
「え? …あ、ははは、実はまだテレポーテーションには力不足で」
 大真面目な表情で問い掛ける家康と、一瞬でしどろもどろになった半蔵。
 その姿を見た康政と忠勝は、主君として仕える相手を間違えなかったこと、
 ひいては絶対に敵へ回してはいけない相手であることを再確認したのである。

――家康一行の峠越えは、悪路に次ぐ悪路で困難を極めたものの、
――六月四日に領国・三河への帰還を無事に果たしたと伝えられている。
――同じ頃、早馬によって信長の死は遠方にも伝わり始め、
――大名達は対応に追われることとなった。
――この時はまだ、大名どころか一介の国衆に過ぎない、
――真田昌幸もその中の一人であった。

「真田殿の協力、痛み入ります。我が殿もお喜びになりましょう」
「ああ。一益殿によろしく」
 使者が深々と礼をしてその場を去り、会見の場に残っている者は二人。
 真田昌幸と、その嫡男である信幸である。
 だが、同席していたものの発言を許されなかった息子は、
 会見中から肩を震わせ続けており、使者が去ったと見るや、
 その怒りと苛立ちはたちまち爆発した。
「父上! 何故、あのような大事なことを勝手に決めてしまわれるのです!」
「相変わらず騒々しいぞ。織田に肩入れするのがそんなに不満か」
「…そうは申しませぬ。武田の仇を討つため織田と戦おうと考えたのは、信長が健在で会った頃の話。今になって戦いを挑むのは、むしろ卑怯。武士の道に反するというものです」
「そう思うなら、何が不満なのだ」
「源次郎を人質として差し出すことです! しかも、身柄をいったん織田の家臣に預け、そこから更に別の人質にしても良いなどと… 父上のお考え、まったく理解できませぬ!」
 信長の訃報を知り、息を潜めていた反信長勢力は一斉に蜂起し、
 各地の織田遺臣達は侵攻により得た領土を維持するどころか、
 本国に帰還する事すら困難な状況に追い詰められていた。
 しかし、昌幸はその流れに追随するどころか、逆に手を差し伸べる。
 重臣滝川一益接触を図り、あろうことか、もう一人の息子を
 「当初より真田からの人質だった」ものとして帰還の行軍に同行させ、
 妨害を受けた際には身柄を差し出すよう提案したのである。
 昌幸は一介の国衆とはいえ、武田家臣としての功績から一目置かれる存在であり、
 次男とはいえその息子を人質に取れれば昌幸に睨みを効かせることも出来るとあって、
 信濃国内での安全を保障するも同然、破格の対応である。
 それに対し、弟を軽々しく扱われたと感じて不満を爆発させたのであるが、
 怒鳴られた本人はといえば相変わらず涼しい表情で、こう言い返した。
「お前は相変わらず、すぐ頭に血が上り過ぎだ。俺は確かに『源次郎を人質に』と言ったが、本人を連れて行けとは言ってない」
「…どういう意味ですか」
「実際には、佐助に同行してもらう。源次郎と身分を偽ってな。そして隙を見計らって脱出してもらう。年齢や背格好の違いなど、普段から付き合いの無い連中にはどうせ分からん」
 唖然とする息子をよそに、父は更に言葉を続ける。
「徳川の連中は、重臣の一部を残しているようだが、東の北条との睨み合いで余裕が無い。それを見越して、北の上杉が仕掛けてくる気配がある。戦になれば、混乱に乗じて抜け出すくらい、佐助なら造作も無い。…何より、滝川一益には一刻も早く本国に戻ってもらわなければならんからな、手段を選んでいる余裕も無い」
「と、言うと?」
「信長は配下の明智光秀に討たれたが、その光秀も仇討ちに遭って、情勢は落ち着きつつある。近いうちに重臣達が集まって、信長の跡継ぎを誰にするとか、今後の対策を練るらしい。…だが、その話し合い、すんなり纏まっては困る。我々が力を蓄え、大名連中と対抗できるだけの態勢を整えるためには、今の混乱が長引いてくれたほうが都合良い」
「あ…!」
 点と点が繋がって線になり、察しがついた様子の息子を見て、満足げに父は微笑んだ。
「そういう事だ。会議というのは大概、集まる人数が多ければ多いほど揉めるもの。要は、一益が談合の余裕も無いほどの急ぎ足で駆けつければ、収拾が付かなくなるだろう、とな」
「私の考えが浅はかでした。先程は怒鳴って申し訳ありません、父上」
「気にするな。まあ、この前のように最後まで話を聞かずに出て行かれたら、流石にどうしようかと思ったが」
「…源次郎の様子を見て参ります!」
「あ? …おい、源次郎、話はまだ終わってないぞ? …おーい」
 痛いところを突かれ、今度は怒りではなく気恥ずかしさで、顔を真っ赤にして早々に立ち去ってしまった息子の後姿を、父は頭を掻きながら見送るしか無かった。

「そうきゅうのはて、わたしはここにいるー! ヴォルト・オブ・ヘヴン!」
 今日は勉強をするように言いつけておいた弟の様子を見に来ると、
 やけに元気な掛け声が聞こえてきたので、学問書を読んでいるわけでは無いのは
 火を見るより明らかと言わざるを得なかった。
「佐助」
「はっ! 信幸様、申し訳ありません。秘蔵の絵巻物を見つけられてしまい…」
「いや、まあ… それはそれで、けしからんが… 源次郎の身代わりで人質になると父上から聞いた。すまない」
「…はっ。どうか気遣いなく。敵情視察のついでと思えば、どうという事はありませぬ」
 答えながら、佐助は、信幸の複雑な心中を察したのか、穏やかに微笑みかけた。
 その表情を見て、気持ちが解れたのか、信幸は思うままを語り始める。
「私は、真田の跡取り… 故に、父上から多くのことを学ばなければと、分かってはいるのだが… どうしても、歯向かったり、遠ざかったりしてしまう」
「信幸様…」
「父上だけではない。源次郎の事にしても… 弟ひとり、満足に躾けることが出来ずに、どうやって家臣をまとめ上げ、他の大名達と渡り合うことが出来よう」
「…恐れながら。拙者、殿が真田を率いる立場となってから仕え始めておりますが、その頃は大変に悩まれているご様子でした。言葉は悪いですが、息をするように策を立てることが出来るようになったのは、最近の事でございます」
 そこまで話して、佐助はもう一度、穏やかに微笑みかける。
「信幸様は、間違いなく、跡取りに相応しい方でございます。悩み、学ぶことは大切ですが、あまり思い詰めませぬよう。…これも恐れながら、信幸様と源次郎様、お二人を足し合わせたら、丁度良いように思われます」
「源次郎と?」
 振り向けば、自分が真面目な話をしているなど何処吹く風で、
 弟は相変わらず絵巻物を熱心に読み耽っていた。
 その姿を見て、信幸と佐助は、どちらからともなく笑みを零したのであった。

――織田重臣滝川一益が、信濃出国の手筈を整え始めたのは、
――本能寺の変からおよそ二十日が経過した、六月二十一日の事と伝えられている。
――信長の後継者争いを話し合う、いわゆる「清須会議」の開催は、目前に迫っていた。