森羅万丈

はてなダイアリー(~2017)から引っ越し、心機一転リスタートです。

戦国演義蒼炎風雲録 5話「清須会議」

――天正十年(一五八二年)六月二十七日。
――本能寺の変により世を去った織田信長の後継者を決めるため、
――織田家重臣達は、尾張・清須城に集結。
――世に言う「清須会議」が、今まさに始まろうとしていた。

「結局、一益さんは間に合いませんでしたか…」
 会議の予定を延長したものの、遂に帰還の報告が無かった、
 本来であれば五人目の参加者となる予定であった者の名を呟き、
 嘆息しているのは、織田家家老・丹羽長秀である。
 残る四人の出席者は、まず、丹羽長秀本人。
 織田家の筆頭家老・柴田勝家
 亡き信長の幼馴染・池田恒興
 そして、信長の仇討ちを果たした、羽柴秀吉
 この面々で、今日、信長の後継者を決めることになっている。

 信長の息子のうち、長男の信忠は世を去っており、
 彼に続く信雄と信孝という二人の息子が候補に挙げられているが、
 この両名を取り巻く状況が実に厄介であった。
 まず、信雄は正室の子だが信孝は側室の子と、母が違うために
 生まれの正確な日が判明せず、どちらが年長であるのかが分からない。
 それを抜きにして、家柄を尊重すれば信雄が優勢だが、
 一個人としての失態があまりにも多く、指導者としての資質に欠ける。
 このことに付け込んで、信孝は早い段階から織田家筆頭家老・柴田勝家接触しており、
 それ以来「多数決大作戦」と称して信孝支持に向けて走り回っている。
 大作戦はともかく、会議本番の紛糾を避けるため、
 長秀も独自に出席者への接触を図ったが、成果は芳しくなかった。
 何しろ、「当日に決める」の一点張りに終始した恒興はまだ良い方で、
 秀吉に至っては、当日まで清須城に入りすらしないという徹底ぶりであった。
 せめて一益が間に合い、事前に話を付けられれば、
 五人のうち三人の意見を事前に纏めることも出来たのだが、最早どうにもならない。
「揉めるのはともかく、禍根を残す事だけは避けたいですが…」
 長年に渡り修羅場を経験してきた「勘」は、それも叶わないだろうと告げていた。

「…というわけで、織田家を継ぐに相応しいのは、信孝様をおいて他におりません! 皆さん、どうか御同意を!」
 会議が始まるや否や、真っ先に発言を申し出た勝家は、信孝を推すべく熱弁を振るった。
 いつも通り、勢いは物凄く良かった。
 というか、勢い任せで喋る内容を練っていないのが筒抜けで、
 結局、具体的に何がどのような理由で推せるのかが伝わらないのが残念なのだが、
 聞き直しても的の絞れない話が繰り返されてしまうのは明白だった。
「お疲れ様でした。…恒興さん、ご意見は?」
「最後で結構です」
 議長役を任された長秀の言葉に対し、恒興の返答は、何とも素っ気無いものだった。
 もっとも、恒興としては今に始まった事では無く、
 常日頃から自分の意見というものは決して表へ出さず、
 最後の最後になって誰かの主張に乗り掛かる性分なのである。
 言い換えれば、限界寸前まで事態の見極めに力を注ぐため、
 後から振り返れば、恒興が付いた側の判断こそ正しかったという事が少なくない。
 悪く言えば「日和見主義」な恒興が、この重要な会議の出席者に選ばれた所以である。

「…では、秀吉さん。ご意見をお願いします」
 名を呼ばれた当人以外の視線が、一斉に注がれた。
 秀吉は、信孝の対抗馬である信雄を推すのではないかというのが巷の噂であったが、
 これまでも幾度と無く、余人が想像もしない策をもって戦果を挙げた人物だけに、
 噂を真に受けている者は、少なくともこの場には居なかった。
 果たして、秀吉が口にしたのは、第三の名前。
「信長様の嫡男・信忠様と、武田信玄公のご息女・松姫様、お二人の子である三法師様。っていうのは、どう?」
「三法師様? …い、幾ら何でもそれは! あの子はまだ三歳で、人見知りも激しく、唯一のお気に入りは南蛮渡来の鳴き声が奇妙な緑色の人形、それを手放すと一日中泣いておられるとか… そ、そんな幼い子供を跡継ぎになど!」
「…あの人形、すごく可愛いですよね…」
「いや、論点違うし!?」
 ただでさえ、完全に想定外な名前を出されて取り乱していたところへ、
 冷静沈着な筈の恒興が遥か斜め上へ行く言葉を発したせいで、
 勝家は完全なパニック状態に陥ってしまった。

 ひとり取り残された長秀は、内心で頭を抱えつつ、懸命に状況を整理した。
 先代の二男と三男が争っては、なかなか収拾が付かないので、
 亡き長男の子に後を託すという案を、理に叶わないとは言えない。
 しかし、一つだけ、どうしても問い質さなければと思い、秀吉へ単刀直入に切り返した。
「秀吉さん。この際、隠し事は無しにしませんか? 勝家さんの言葉は要領を得ませんが、血筋が申し分無いとはいえ幼過ぎるというのは同意です。それでも敢えて三法師様を推すということは… 織田家の家臣としてではなく、羽柴秀吉という一個人として、天下統一を果たしたいという意思の表れではないですか?」
 揉めたくない、禍根を残したくない、そう思っていたのは始まる前の話で、
 最早かなわないと見た長秀なりに腹を括ったのである。
 これに対し、秀吉は怒るでも、平静を保つでも、にっこりと笑って見せた。
「その通り。いやー、やっぱり丹羽ちゃんは話が分かるね」
「…こんな所で『ちゃん』は止めてください、秀吉さん」
 精一杯、威厳を保っている心算だが、既に場の雰囲気は握られたのも同然であった。
「この際はっきり言うけど、信雄様でも信孝様でも三法師様でも、織田家の看板を背負う限り、天下統一どころか生き残る事だって出来ないよ。信長様はあまりにも敵を作り過ぎた。織田家が天下統一を果たすなら、信長様が生きている間にやり抜くしか無かったんだ。血筋に拘ったら、武田家の二の舞になるよ」
「武田家の…?」
「そう。先代の信玄公は状況に応じて外交方針を切り替え、同盟と裏切りを繰り返した。実際、信長様も同盟を組んだ後に裏切られた中の一人だった。その後、勝頼公に代替わりしてから周囲は敵だらけ。唯一、勝頼公の代になってから同盟を結んだ北の上杉家だって、最後まで助けには来なかった。もし、援軍が来ていたら、三か月前はあんな一方的な戦にはならなかったよね」
「…言いたい事は分かりました。ただ、それを信雄様や信孝様に納得してくれと言っても、難しいでしょうね」
「僕もそう思う。だから三法師様を担ぐことにした。文句が言えるぐらい物が分かる年になる頃までには、僕が天下を統一する」
 秀吉と長秀が神妙に話し込み、会議の流れが決まろうとしている横では、
 完全に思考が「三法師様のぬいぐるみ」へ飛んでしまった恒興の肩を、
 勝家が力任せに揺さぶり、会議に引き戻そうとしているが、時すでに遅し。
 良くも悪くも脇目を振らない性格は、完全に裏目と出てしまったのである。

 こうして、秀吉は名目上の織田政権後見人、
 実質的には天下統一の最有力候補に躍り出る事となった。
 この報せを、信濃の地で聞いた真田昌幸は、己の策が功を奏さなかったことを悟った。
「一益と合流した勝家が、織田の連中を巻き込んで、油断した秀吉の足元を掬う… という訳にはいかないだろうな」
 そもそも、それだけの策が勝家に立てられれるのであれば、
 会議の段階から秀吉に主導権を握られる事も無かっただろうと、
 昌幸は詮無い希望的観測を早々に打ち切ることにした。
 これからは、織田家が蓄えてきた力を丸ごと秀吉が手に入れる前提で、
 自分たちが生き残る策を立てなければならない。
「さて…」
 地図を広げ、昌幸は黙考する。
 北側に位置する上杉家は、昌幸の目論見通りに信濃の国衆へ圧力を強めているものの、
 国内で内紛の気配が漂っているため、本腰を入れた侵攻は難しい状況にある。
 問題となるのは南側で、北条・徳川の両軍がそれぞれ甲斐に乗り込み、
 今のところ全面衝突には至っていないものの、主導権争いは激しさを増している。
 もし、全面対決に至って共倒れすれば、目先の脅威こそ除かれるが、
 それは秀吉に対抗出来る勢力が消滅するのと同義である。
 そうなれば、織田家による信濃支配は寸前で止まったものの、
 今度こそ秀吉によって信濃は完全に飲み込まれ、
 自分達は赤子の手を捻るように潰されてしまうのは明白である。
「生かさぬよう、殺さぬよう… 匙加減を間違えたら、そこで終わりだ」
 戦場に出る前の準備で、戦の勝敗は八割方が決まるというのが定説である。
 しかし、真田家のような、大名ですらない国衆の立場では、
 八割どころか、九割九分が事前の策で決まるといっても過言では無い。
 勝つべくして勝つため、昌幸はこの後、地図と睨み合いをする日々を過ごす事となった。

――信長亡き後の、織田家の権力闘争と並行して、各大名の圧力は、激しさを増していく。 ――北の上杉、東の北条、南の徳川が、甲斐と信濃を目指して兵を進める。
――世に言う「天正壬午の乱」が、本格的に始まろうとしていた。