森羅万丈

はてなダイアリー(~2017)から引っ越し、心機一転リスタートです。

SS「脇山一刀流は天下の華」

 晴れの舞台を迎えた朝も、珠美はあくまでもマイペースというか、自然体だった。
 所属している剣道部の朝稽古に参加した後にLIVE会場へ向かいたいので、迎えに来てほしいと言うのである。
 つまり、本番直前のリハーサルを除けば、当日にも関わらず、ぶっつけ本番だ。
 だが、その朝稽古こそ、珠美にとっては「アイドルとしてのレッスン」でもあることを承知しているからこそ、俺は即座に珠美の申し出を承諾した。
 もっと言えば、珠美が、こういう日だからといって無難な行動に終始する性格であったなら、そもそも俺はスカウトしようとも思わなかった。
 あの日、たった一人で数人の男達に立ち向かうという、それこそ常識外れな行動を目の前で見たからこそ、俺は…

「…え?」

 回想に飛ばしていた俺の意識は、スタッフの呼び声で、現実に引き戻された。
 何でも、関係者席にいる美城専務が、俺に話があると言っているらしい。
 あまり良い話で無いことは容易に予想出来たが、まさか無視するわけにもいかないし、珠美の衣装とメイクが整うまでにも、もう暫くは掛かるだろう。
 スタッフの案内で、俺は、関係者席へと向かった。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

「ここに来る途中、彼女の学校に寄ったそうだな」
「ええ」

 恥じることも隠すことも無いので、専務の問いに、俺は即答した。
 おそらく、俺の反応は織り込み済みで、専務は手元の資料へすぐに視線を落とす。

「君は見るまでも無いだろうが、彼女のプロフィールシートだ。高校在学中、剣道部在籍中、公式戦出場なし、段級位は一級… 念のため聞くが、初段の間違いではないのか?」
「間違いありません。今は、初段の昇段審査に向け、稽古と勉強の段階です」
「……」

 それ以上は見るまでも無いと言わんばかりに、専務は資料から目を離した。

「以前、別の者と話したことがある。『個性を伸ばすのは大いに結構、しかし時計の針は待ってくれない』と。だが… 試合にも出られない、段位も取れない、そんなものは個性どころか、単なる子供遊びだ。違うか?」
「違います」
「根拠は?」
「あいつの稽古に付き合ったことがあります。切り返しといって、本来、左右から規則正しく面打ちを繰り返すんですが、あいつの場合は一つとして同じ軌道が無い、完全にバラバラだったんです。この意味が分かりますか」
「彼女が未熟極まるからではないか?」
「一面的にはそうです。求められる所作がこなせないから見栄えは悪いし、昇段審査も通らない。ですが、さっきも言った通り、『一つとして同じ軌道が無い』んです」
「……」

 専務は沈黙したが、視線は相変わらず、俺に向けられている。
 少なくとも、聞く耳を持たないという様子では無かったから、俺はそのまま話し続けた。

「互いに防具を付けて立ち合うと、どうしても勝負の意識というか、俺の防御を破って面打ちを決めたくなるらしくて、色々な軌道を試してくるんです。それが、十回、二十回と積み重なっても、同じ手は通用しないと思って、必ず、違うやり方で仕掛けられます。何十回、繰り返してもです。こんな真似、凡人には逆立ちしたって出来ません」
「…あくまでも、彼女にとっては『個性』だと、そう主張するのか」
「そうです。少なくとも、初段の昇段審査に通らないという一面だけで、あいつの剣士としての力量や将来性を判断しないでください」
「言葉は不要だ。今後、彼女が示す結果を見て、判断させてもらう」

 切り捨てられたようにも聞こえるが、その実、結果をもって反論する機会も与えられる。
 それが専務の『いつものこと』だと、以前、聞かされた事があった。

「まったく、『彼』といい君といい、彼女たちといい… 今の346プロダクションは、不揃いな林檎の集まりだな」
「貴女も含めて、ですね」
「……」
「大体、そうでなかったら、面白くも何ともないでしょう」
「御伽話以下どころか、荒唐無稽な三文芝居を臆面も無く仕立て上げる、君らしい言い分だな。あいにく私は、理路整然とした物語しか好まない」
「手厳しいですね」
「だが、既に幕は上がった。ここで席を立つような無粋をする気は無い。…結末は、しっかり見届けさせてもらう」

 専務にそう告げられた直後、スタッフが俺を呼びに来た。
 俺の方からも随分と話を盛り上げてしまったせいで、珠美の準備はとっくに終わって、既に出番待ちの状態らしい。
 専務は、俺に一瞥もしない代わりに、真っ直ぐ、ステージを見つめている。
 その視線は、プロダクションの重役というよりも、開演を待つ一人の観客として映る。
 俺は、専務に一礼して、すぐにその場を離れた。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

「珠美!」

 俺がステージ袖に戻ると、既に、真新しい衣装に身を包んだ珠美が、凛々しく立って出番を待っている所だった。
 勢い余って大声を出してしまったものの、その立ち振る舞いがあまりにも堂々としていたので、なんとも場違いな雰囲気になってしまった。

「すまない、呼び出しが長引いた。支度が終わるまでには戻るつもりだったが…」
「お気遣いありがとうございます、プロデューサー殿。ですが見ての通り、珠美は準備万端です。案ずるには及びませんよ」

 仕草だけでなく、喋り方も実に堂々としていて、心の隙や焦りといったものが、お世辞やひいき目抜きにまったく感じられない。
 あらためて、この舞台に立つ機会を掴んだのが、運や巡り合わせ等でなく、たゆまぬ精進の賜物であったこと。
 今朝の稽古も含めて、これまで経験してきた全ての出来事、数え切れないほどの挫折や失敗を含めて、何一つとして無駄なものは無かったこと。
 その思いが、あらためて強くなった。

「では、行って参ります!」

 掛け声と共に、颯爽と、珠美がステージの中心に向かって駆け出して行く。
 アイドルとして、剣士として、天下を取るための、今までで最も大きな一歩。
 それは今の一瞬だけでなく、むしろ今日という日を境に、駆け幅はもっと大きく、力強くなっていくことを、確信させてくれる後姿だった。


『脇山一刀流は天下の華』 了